『彼女は自分の優しさと勇気に感動していたのだ。』(モンスターより抜粋)
「無」であること。死にたいと思って、ただそれだけを思って生きてきたら、中身が空っぽになる可能性がある。いざ、死ぬことが怖くなり、生きることを選んだら、それはそれは辛い。人よりも遅いスタート、その上要領も悪いし知識も経験もない。努力して勝ち取ったものがないまま社会に出ると迷子になる。どこにいて、何を話して、どうやって生きていけばいいか分からない。人生の四分の一が終わった今、それでも自分の人生は無意味ですか?なぜ社会がこんなに厳しいと呼ばれるのか、謎が解けないまま時間が進む。このまま妄想の中にいられたらどれだけ楽だろうか。それは生きていると言えるのだろうか。このまま見て見ぬふりをして被害者として生きることもできるけれど。愛するものやことが少ないからなのかな、世の中を憎んでいるのかな、ネガティブ病気なのかな、だから。大人になろうとしても、髪を黒くしてスーツを着ることがそれではない。刻々と時計が動いて、じりじりとタイムリミットが忍び寄る。他人に26歳だと当てられる外見と、哲学書とか読んでそうって言われるような雰囲気。哲学書なんて一冊も読んだ事がない、活字は苦手だし。本当は中身なんてなくって、他人と話すだけで頭も身体もがちがちに固まるダメな人間なんだ。他人と一緒に居たって、すぐに壁を作って一人になりたがるくせに、それが悩みなんだ。もういやだ。自分に嫌気がさしてきた、自分は半分死んでる、自分から遠ざかりたい。
髪を染めに行こう、予約を取ろう。マツエクに行こう、予約を取ろう。英単語帳を終わらせよう、図書館かスタバに行こう。本を読もう、一日10ページ。after effectを使ってみよう、自分の好きに生きよう。あと10年したら長岡亮介と同じ歳なんだなぁ。だからこれから10年間、何か一つでも頑張れば少しでも彼に近づけるんじゃないかな。彼はギターネイティブみたいなもんだから。憧れの中をふわふわと何食わぬ顔で生きてる最高にかっこいい人だから。見て話しても恥ずかしくない人間に私はなりたい。
今朝、夜行バスで関東から関西に帰ってきて、引っ越し屋さんから荷物が届いて全部片付けて、買い物に行ってほうれん草とベーコンのキッシュを作って、ワインを飲みながら晩酌。それでも何も感じないんだ。危機感。死んでしまっても、夢の中での出来事と勘違いしたまま、一生が終わりそう。生きてる実感が欲しい。五感が鈍ってる。