何年か前に椎名林檎がニュースステーションに出たときに、2001年の911事件に衝撃を受けたとかそういう話をしてたのが今でも心に残っています。
私は飛行機がビルに突っ込んでいく瞬間をテレビでリアルタイムで見ていました。
何か大変なことが起こってるな、そう思ったけどそれはただただ別世界で起きていることのようでリアルに感じませんでした。衝撃的でした。でもそれはある人が受けたような強烈なものではありませんでした。
ニュースの中で起こっている事件から人は何を感じて、どのように一個人として処理すればいいのかいつも疑問に思っていました。
事件から何も感じとれないのは、その事件の中に自分が入ってないからじゃないかと思います。
自分が社会に所属しているという自覚が足りないのかと。
高みの見物をして、それぞれの事件の本質と向き合おうとしてないからじゃないかと。
事件の被害者と加害者に対して
「(顔のない)健全な市民」対「顔のある悪党たち」
という図式をいつまでも拭えずにいるのかもしれません。
事件の本質は、それぞれの生活を持つ顔のある被害者から見えてくるのかもしれません。
色々な事件について多くのことを考え学ぶことは社会と接点と取る方法のひとつです。
そこから感じたものは、意識していないとすぐに忘れていってしまいそうな感覚で、何も考えていないと、他のニュースと共に知らない間に目の前を通り過ぎて行ってしまうようなものです。
事件をリアルに思えないのは、「あちら側」という加害者、「こちら側」という被害者と我々という図式を容易に作り出してしまうからなのかもしれません。
完全な正義が存在しないように、加害者は完全な悪という存在ではなく、私たちともどこかで交わって、何かを共有しているはずなのです。
事件を身近に感じることができないのは、きっと仕方がないことのような気がします。
そういう謎な部分があって、それをゆっくりとゆっくりと考えて見つけ出していくのが人生です。
何かを見つけたとしてもそれが絶対正しいわけではないです。
ただその答えがしっくりくるだけで、答えはそれだけじゃないです。
何故その事件ひとつに泣いて、その人の心を動かすことができるのか、まだよくわかりません。それはきっと事件や事件に対する社会の反応に危機感や使命感を抱いてないからだと思います。
ただ、椎名林檎も村上春樹も好きなので彼らが感じてることをほんの僅かでもいいので、知っていたいと思います。